主宰者 : 新宅 雅也(永灯至) H24.06.18改名
1957年12月生まれ。広島県出身
日本体育大学時代に出場した箱根駅伝では瀬古利彦有する早稲田大学を下し総合優勝を飾った立役者。その後、SB食品陸上部時代に日本マラソン界の黄金時代を支えた立役者。モスクワ五輪、ロサンゼルス五輪、ソウル五輪とそれぞれ違う種目で日本代表となったスーパーランナー。第一線を引退後は、三井住友海上陸上部、体育系専門予備校の「体育進学センター」の理事として、スポーツを通しての社会整備・地域の活性化に力を注ぐ。
【 主たる競技暦 】
競技会
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種目
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記録
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オリンピック大会 | ||
1980年 第22回 モスクワ |
3,000m障害 5,000m |
日本代表 |
1984年 第23回 ロサンゼルス | 10,000 | 日本代表 |
1988年 第24回 ソウル | マラソン | 日本代表 |
アジア大会 | ||
1978年 第8回 バンコク | 3,000m障害 | 優勝 |
1982年 第9回 ニューデリー | 5,000m | 優勝 |
1986年 第10回 ソウル | 10,000m | 優勝 |
国際大会 | ||
1980年 DNガラン国際陸上 | 3,000m障害 | 2位(当時日本記録) |
1981年 世界記録挑戦競技会 |
30,000m 15,000m |
2位(当時世界記録) (当時日本記録) |
1982年 8ヶ国陸上 | 5,000m | 2位(当時日本記録) |
1984年 唐津10マイルロードレース | 優勝(現在日本記録) | |
1987年 オスロ国際陸上 | 3,000m | 8位(当時日本記録) |
1989年 全日本実業団ハーフマラソン | 優勝(当時日本記録) | |
国内大会 | ||
1978年 東京箱根間往復関東大学駅伝競走大会 | 第4区 | 優勝 |
1979年 東京箱根間往復関東大学駅伝競走大会 | 第5区 | 準優勝 |
1980年 東京箱根間往復関東大学駅伝競走大会 | 第2区 | 優勝 |
1977年 日本陸上競技選手権大会 | 3,000m障害 | 優勝 |
1978年 日本陸上競技選手権大会 | 3,000m障害 | 優勝 |
1979年 日本陸上競技選手権大会 | 3,000m障害 | 優勝 |
1980年 日本陸上競技選手権大会 |
3,000m障害 5,000m |
優勝 優勝 |
1981年 日本陸上競技選手権大会 |
5,000m 10,000m |
優勝 優勝 |
1982年 日本陸上競技選手権大会 | 3,000m障害 | 優勝 |
1983年 日本陸上競技選手権大会 |
3,000m障害 5,000m |
優勝 優勝 |
1984年 日本陸上競技選手権大会 | 10,000m | 優勝 |
1985年 日本陸上競技選手権大会 | 10,000m | 優勝 |
1985年 福岡国際マラソン | 優勝 |